東京財団のレポート
「臓器移植法改正A〜D案提案者による討論会」
のページより
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=142
_ここから_______________________
A案 冨岡勉・衆議院議員(自民党)
A案配布資料
A案では、
脳死を一律に人の死と認めようということを提案している。
[現行法では、生前に臓器提供の意思表示がある場合のみ、
脳死=死と定義している]。
臓器提供年齢については0歳以上とし、
年齢による制限をなくそうというのがA案の趣旨である。
現行法では、臓器提供は15歳未満であれば脳死とは関係なく
臓器提供ができないが、
A案では「家族の同意」があれば可能としている。
臓器売買や生体移植については今のところ規定していない。
こうした内容の背景として、いくつかの統計を紹介する。
まず、日本では、
年間心臓提供者数が欧米に比べて極端に少ない(0.05人)。
また、脳死間移植よりも、生きている人同士、
つまり生体間移植が多い。
これは肝臓、腎臓、肺のすべての移植について言えることである。
わが子を思う母や父が正常な体にメスを入れて
子どもに臓器を提供しているという現状がうかがえる。
内閣府の「臓器移植に関する世論調査」を見ても、
臓器提供の意思や15歳未満の者の臓器移植への道を
開くことなどについて、肯定的な回答が増えている。
にもかかわらず、脳死移植は少ない状況だ。
ドナーカード1,397人のうち、
脳死下で提供に至ったのは63例である。
現実には、搬送施設、連絡時期、法的脳死判定などの
プロセスにおいて、
脳死下提供に至るまでにはいろいろな制約があることを示している。
A案推進の理由は、
@移植でしか救えない幼い命を救ってあげたい、
Aそのためには、年齢制限をなくす必要がある、
B「脳死を死」としていないのは、日本だけで、
韓国は2、3年前に脳死=死としている、
C多くの患者団体や医学会が支援、支持している、
DWHOの勧告やイスタンブール宣言は日本1カ国に対しての
国際ルールづくりの動きで、日本が孤立している、
E臓器移植を認めない人、
脳死を認めない人の権利も十分に保障・担保しているということだ。
B案 石井啓一・衆議院議員(公明党)
B案資料
現行法では、生前に書面で意思表示をしていれば
脳死を人の死とするとなっている。
「自己決定」を最大限尊重していると言える。
そして自己決定できる年齢を、
民法では遺言状作成年齢を15歳としていることから、
それに準じて15歳と決めている。
B案では、脳死を人の死と位置づけるA案とは異なり、
それを法律上位置付けることは、
まだ社会的に合意が得られてないと考えている。
そこで現行法の「自己決定」を最大限に生かし、
中学生に達すれば自己決定が十分に可能であるという考えから、
臓器提供可能年齢を12歳に引き下げた。
それより下の年齢の子どもについては、
保護者が代わって臓器移植摘出を承諾するという(
代諾)があってもかまわないが、
まず自己決定を最大限まで追求していくことが重要であり、
その上で段階的に法整備を進めていくべきと考える。
脳死を人の死とすることは、
グローバルスタンダードだとの指摘もある。
しかし、人の死というのは文化的な土壌や宗教的な土壌によって
異なるものであり、
必ずしもそれを国際的な基準に合わせる必要はない。
それを法的に位置づけることに非常に懸念を持っている。
臓器の摘出には、確かに家族の了解が必要とされているものの、
脳死を人の死と位置づけるとになると、
たとえば、脳死状態になった後の医療行為に
制限が課されるのではないか。
あるいは、延命治療を中止されたり、
健康保険の適用を除外されたりということが起こりかねない。
ドナーカードの意思表示による臓器提供数が増えないという
批判もあるが、
B案では、運転免許証等への意思表示の記載を可能にしている。
ここでいう「等」の中には、健康保険証も念頭にある。
こうした身近で携帯可能な書類に、
臓器提供の意思を表示することを可能にすれば、
臓器提供の機会は現行よりも大幅に増えることが期待される。
4月21日の衆議院小委員会で大阪医大小児科の
田中英高准教授が説明した、
日本小児科学会のアンケート調査(有効回答数4,187人)によれば、
「虐待された子どもの紛れ込みをきちんと適正に判断できるかどうか」
という問いに対して、
「適正に行える」と答えたのは約1割にとどまっている。
つまり、親が犯行を隠すために、
医者がなかなかそれを判断するのが難しいということである。
「新生児を含む小児の脳死判断が医学的に可能かどうか」
という問いに対して、
「可能」と答えた小児科医は3割であった。
また、田中准教授が、我が国で小児脳死とされた
121例の検討結果を調べたところ、
小児では脳死状態から心臓死まで長期間生存することが
稀ではないことも分かり、
場合によっては数年間生存する例もあるとのことである。
2000年に出された、6歳未満の子どもに対する脳死の判定基準は、
それを満たした11例を基に作成されているが、
11例の調査のみで脳死判定の正当性を導くのは科学的ではなく、
危険であると述べている。
4月27日に出された日本小児科学会の倫理委員会の緊急見解では、
数年間の期限つきでB案を施行する間に厚生労働省の指導で
小児の脳死臓器移植に関する基盤整備を行うべきとある。
基盤整備とは、
@被虐待児からの臓器摘出の防止、
A小児の脳死の判定基準の検証と再検討、
B小児の意思表明権の確保である。
これを確保した上で順次法的な整備を行っていくとの表明である。
WHOの勧告については、臓器売買にからむ
移植ツーリズムの規制であり、
必ずしも海外渡航移植を全面禁止するものではないとの認識である。
C案 阿部知子・衆議院議員(社民党)
C案資料
C案については、報道で「脳死の定義の厳格化」
というところばかりを取り上げられるが、実はそうではない。
死に行く人かもしれなくても、
治療を十全に受けることができるというような生存権を
最大限保障するためには、何が必要かというところから立脚している。
そこで今回の法改正の主眼目として、
C案では目的を改正した。
すなわち、
「臓器等の移植が人間の尊厳の保持および人権の保障に
重大な影響を与える可能性があることに鑑み」
と、わざわざ現行法の「目的」の前に入れた理由は、
やはりここでドナーとなっていく人の生存権、人権、
治療を受ける権利が
どこまで保障されているかということが第一にあるということである。
そこから演繹して、たとえば原因疾患が何であるか、
それにきちんと治療がなされたかどうか、
ということを法律事項に起こした。
そんなことは今までの法律でも
当たり前に規定されていると思うかもしれないが、
現行法では、それはガイドラインでしかない。
法に違反することと、ガイドラインに違反することとでは重みが違う。
より健全な、そして本当に人権侵害が起こらない移植のためには、
法定事項にするということが、
C案が考える厳密化のひとつとしてある。
A案提案者からも説明があったが、
たとえば12年前、脳死になったら2日とか
1週間で亡くなるとされていた。
現状では、慢性の長期の脳死の生存例というものがある。
このことを指摘すると必ず「それは判定がいい加減だったから」
という風に言われていた。
しかし、厳密に判定されてもなお、子どもにおいては背が伸び、
年余にわたってそこに生存するケースがある。
この事実は決して無視しえない。
脳死という病態についてはまだまだ、
これから追及されるべきだと考える。
C案では、脳死の定義や親が代諾してよいかということや、
子どもの自己決定権という観点から、
しかるべく脳死臨調を開いてやっていくべきであるということを
要請している。
もうひとつ重要な点は、生体移植の増加である。
これが移植学会の自主的なガイドラインのみで、
まったくノールールで行われている。
臓器は組織もすべて、骨、皮、皮膚、全部利用できないものはない。
技術的には、リサイクル、リユースが可能である。
しかし、人間の尊厳ということに鑑みれば、
そこに当然ある制約を設けないと、
とんでもないことになるというのが、C案の懸念するところである。
また、検死が1割ほどしか実施されていない状況は、
日本の医学の崩壊状況を象徴している。
C案は、他の3案が規定してない、こうした生体、検死の問題等々、
脳死という病態についての厳密性を求める提案である。
D案 岡本充功・衆議院議員(民主党)
D案資料
D案は、これまで出ていたA案、B案、C案のどれにも乗りづらい、
もしくはこの中でどれがよいかと悩んでいる人の逡巡を踏まえ、
より広範な人々の賛同を得て
成立させることができる案をつくろうという動きである。
現実論として「AもBもCも駄目でした」
ということで終わるのはいかがなものか。
小児の臓器移植については、
これからきちんとした議論をして基準をつくっていくという
前提があれば、
これに門戸を開くことは、ある意味で一歩前進ではないか。
もちろんそのようなステップをきちんと踏むことができないのであれば、
改正法が施行されてもA案であれB案であれ、
小児や乳幼児からの臓器移植はできないことになる。
脳死を人の死と一律にする点についても、
D案は提案者の中でいろいろと議論が交わされた。
脳死後の医療の問題として、場合によっては
「もう脳死状態だから医療しても仕方がないですよ」
というような言い含めが起こり、
本人の意思もしくは家族の意思とは異なった
死の定義がなされる可能性もある。
このため、脳死の定義は引き続き、
「脳死が即、人の死ではない」という立場に立った。
15歳未満の意思確認については、
D案ではさまざまな懸念があることから、
病院内の医師による判断とした。
病院外にしたらどうかという声もあったが、
医療の状況を外部につまびらかにすることをためらう医師もいるのではないかとの配慮から、
院内でしかるべき他科の医師を含め、
臓器を提供する家族の意思、
また虐待等があったかどうかについての
客観的判断を加えるようにしていこうという提案をしている。
A案では、脳死は人の死というところをもって、
本人の意思がなくても家族の意思で成人も移植できるということになる。
しかしそこまではいかないまでも、
門戸は開くというステップを踏むにはD案がよいのではないかと考える。
A案提案者から、日本は脳死にいたる判定の中で
煩雑な手続きが必要だとの指摘があった。
その手続きが「煩雑」という表現がいいかどうかは別として、
手続きはしっかりと踏まれる必要があると考えている。
脳死という大変重要な判断をするにあたって、
その手続きを簡略化することがあってはならない。
そういう状況を考えると、たとえA案が通ったとしても、
今日本で必要とされる臓器がすべて供給されるわけではない。
今の日本の臓器移植のあり方を、提供者の側から見るのか、
あるいは臓器の受け手の側から見るのかということがあって、
私はその両方を見据えた案を作っていくべきではないかと考えている。
そういう意味で、臓器移植に迷う、
あるいは一抹の不安がつきまとうという人の背中を、
無理に押して臓器移植へと進めることがないようにしなければいけない。
この日本で現在臓器提供を受けることが可能な疾患というのは、
ある程度限られている。
しかしこれを広げることは可能だ。
今は適応症となっていない疾患であっても、
移植を受けられるようにしてほしいという要望が出てくるであろう。
そういうニーズに応えることを目的とする法律を作るということは、
その土台からして限界があるのではないか。
脳死で亡くなる年間おおよそ4,000人全員が臓器を提供したとしても、適応疾患を広げていけば、
とても臓器は足りないということになるだろうという
現実を合わせて考えると、
どこかで線を引かなければいけない。
臓器をもらえない人が出てくることへの理解も
同時に進めていく必要がある。
_________________ここまで
(概要)
3年前に提出された
A案は、脳死を一律に人の死とし、
家族同意のみで臓器提供を可能とする。
B案は、提供可能年齢を12歳以上に引き下げる
C案は、脳死判定基準を厳格化する(対象年齢は今と変わらず)
D案は、この5月に出されました。
15歳未満からの臓器移植を家族の承諾などで可能とする。
第3者委員会を発足する。
厚生労働委員会で、この問題について、審議が尽くされている
といえるでしょうか?
厚生労働委員会の審議は、小委員会を含めても21時間。
委員会における審議は、今国会になっても、5月7日に4時間
6月5日に4時間の計8時間だけ。
この問題は、
臓器移植を希望する人。
臓器移植は家族にのみ希望する人。
臓器移植を希望しない人。
国民の中でも意見は分かれていると思います。
個人的には自分は臓器移植を希望すると、
臓器移植意志表示カードを所持していたとしても、
その家族が、自分の肉親の体の一部を誰にも提供したくないと
思うケースもあることでしょう。
生命に関しては、未解明な部分がまだまだあると思います。
せっかく生まれた赤ちゃんの心臓が悪くて、
臓器提供を受けたい方の気持ちがわからないわけではないのですが、
逆の立場で、
脳死してしまったわが子の臓器を提供してしまい、その後に、
親として、ほんとうにそれでよかったのかどうなのかと、
悩み続ける方もおられます。
臓器提供に関しては、まだまだ審議していただきたいし、
できれば、
臓器移植法を通す前に、ES細胞から、
その個人にとって、副作用が出ない臓器をつくるという
研究費に時間もお金も投じてみてはいかがでしょうか?
限りある命です。
命というものは永遠ではありません。
家族が亡くなった時、
生まれてきた時と同じ状態の体で、
見送りたいと思うのですが・・・私は。
魂があるとするならば、その魂は、
亡くなった自分の体の一部を失う事をどう思うのか
誰にもわかりませんよね。
__________________________________
(2009.7月13日)
A案が参議院で可決されました。
これまで禁じられていた15歳未満の子供からの臓器提供はこれで、
可能となます。
また、本人が生前に自分は臓器移植を拒否する意志表明をしていなければ
家族の同意さえあれば臓器提供できることになります。
この法案は、まだまだ詰める余地ありと思います。
「脳死 イコール 人の死」 これで・・それで・・
本当によいのですね。よいの?
投票総数220票の、賛成138票、反対82票
(独り言)・・臓器移植を待っている人は多いことでしょう。
駐車場の順番待ちとは違うよ。
この法案に賛成した138人の議員さんは、脳死について、
多くを学ばれたのでしょうねぇ・・・?
臓器移植法案を通す前に、ES細胞から、
その個人にとって、副作用が出ない臓器をつくるという
研究が進んでるんじゃなかったの?
細胞レベルで考えた時、脳以外のどの細胞にも
個人の記憶のようなものが
あると思うのは私だけかなぁ?
ブログランキングに参加しています。
応援していただける方方はポチをお願いします^^/

人気ブログランキングへ
気になるニューストップに戻る