2019年5月1日午前0時から令和元年になります。れいわがんねん!
「平成最後の」という言葉や文字が冒頭に付く表現が多い4月です。
平成を振り返ってみましょうというような番組も増えました。
ついでに昭和まで遡ってみる番組も増えました。
「平成という時代は唯一戦争が無かった時代でした。」
この言葉に昭和生まれの私は違和感を覚えます。
私が生まれた時にはすでに日本は平和でした。
「平和だったなぁ昭和の時代って。」これは私個人が感じる昭和という時代に対する正直な思いです。
何故なら、私は戦争が終わって十数年が経った頃に生まれているので戦争を体験していないのです。
沖縄がアメリカから返還された時のニュースを見たのは良く覚えていますが、その前に起こった先の大戦について思いを深くすることはありませんでした。
第2次世界大戦の話は父からも聞きましたし、祖母からも聞きましたので知識としてはあります。
軍隊に入隊している時の父の写真の多くが額に入れられ実家に飾ってありました。
それでも自分が体験していないので、生まれた時から私の昭和の時代は平和なのです。
戦争については学校でも学びますし本も多く読みました。体験者のテレビ番組も多くありその度に見ています。なので戦争は起こしてはならないと強く思っているのは他の方々同様です。知識として知っている戦争と、実体験した戦争では、記憶のかたちが違います。
私にとって昭和という時代を短い言葉で言うならば、「平和でそこそこ良い時代」であります。
貧乏暇なしの店で手伝いをしていた幼少の頃から小学生になる頃にハイパーインフレが起こり貨幣価値が大きく変わり、公務員の給料が数年で10倍近く上がりました。私が高校を卒業したあと、その上の学校を親の金銭事情により途中で退学し、寝る暇もないほど働きいているその頃がバブルといわれた時代です。個人的にはバブルの恩恵など受けてはおりませんが、何となく景気が良い感じでそれなりに仕事をしながら借金をしながら余暇を楽しみました。
平成という時代になって数年後に結婚。その頃の郵便貯金の定期預金の利息は7%くらいでした。その頃に100万円の定期ができた人なら10年後には倍の200万円になるといった感じです。
数年後にはバブル崩壊。土地伝説が崩れ大手銀行が破綻か?いやいや待て待て統合しよう!とか、証券会社は社員は悪くありませんと号泣記者会見が大きくとりあげられたりと何とも切ない経済状態に陥りました。泡はいつか弾けるものだなぁと静観しておりました。
これまでの私の人生の中で、平成という時代の方が昭和という時代よりも長く生きた時代になりました。
この平成という時代を個人的に振り返ると、ろくな時代ではなかったと感じましたが。人それぞれの感じ方があると思いますが。
平成という時代はテクノロジーが発達した時代です。パーソナルコンピュータの普及に始まり、携帯電話を誰もが持てるようになりました。今ではスマートフォン(頭の良い電話、小さなpc)をほとんどの人が持ち歩いています。バスや電車に乗る時に切符を買うということも今はほとんどなくなりました。
大災害が何度も起こった平成という時代。自然の猛威は誰にも止められないものですからこればかりは仕方がありません。
便利な時代になったといえばそうかもしれませんが、日本企業は野心を忘れてしまったかのようにアメリカのグーグルやアマゾンやフェイスブックやツイッター社のような大きく成長するような企業を産出することは叶わなかったですね。
非正規雇用などという言葉が出てきました。安定した生活ができる通常とされた終身雇用という言葉が死語となりました。
日本は平和な平成という時代を過ごすことができたかもしれませんが、平和とか安心平穏というのは個人個人の家庭の生活が安定してこそなのではないかと個人的には思いました。契約社員とか非正規雇用はそういう意味で個人の生活の格差が広がったような気がします。
いつの時も、人として日本人として忘れてはならないこれまで受け継がれてきた礼儀や作法や麗しき文化はこれからも変わらず続いてほしいと願っています。
(第125代天皇)日本の第125代天皇 明仁(あきひと)1933年(昭和8年)12月23日生
今上天皇は4月30日に御退位されます。
30年間、国民の象徴とは何であるのかを模索され続けたと天皇のお言葉の中でおっしゃいました。日本という国のこと、国民のことを絶えず考えていらっしゃったと思います。天皇陛下になられて暫くの間は何かと前天皇陛下と比較され決して良い内容とは言えない報道がなされました。今生天皇はご自分なりに努力されたことと思います。
5月1日には天皇の退位等に関する皇室典範特例法第三条の規定により「太上天皇(だいじょうてんのう)」略称-「上皇(じょうこう)」となられます。
2019年5月1日、現在の皇太子徳仁親王が5月1日に第126代天皇(天皇陛下)になられます。
『1960年(昭和35年)2月23日16時15分に生を受けられた皇太子徳仁親王
2月29日、命名の儀において祖父である昭和天皇が浩宮徳仁(ひろのみや なるひと)と命名した。
中庸 第32章第二節を典拠とされたとのこと。
中庸 第32章第二節を典拠とされたとのこと。
「肫肫其仁。淵淵其淵。浩浩其天。」
(肫肫(しゆんしゆん)たり其の仁、淵淵(えんえんたり)其の淵、浩浩(こうこう)たり其の天。)
(肫肫(しゆんしゆん)たり其の仁、淵淵(えんえんたり)其の淵、浩浩(こうこう)たり其の天。)
苟くも固に聡明聖知にして天徳に達する者ならざれば、 其れ孰か能くこれを知らん。
出典:wikipedia
明日5月1日から振り返りはそこそこに前進しましょう。
新しい元号は、昭和天皇のご崩御後の平成となった時と違います。ジークジオン!言わなくて良い。
今回の天皇即位の日は踊りを踊りたくなるような日となるはずです。