いろはうた

いろはうたに学ぶ

は  はかなくも明日の命をたのむかな 今日も今日もと学びをばせで



(ハガキ の は)


用があるといって明日に延ばし、延ばし、

一向に勉強せずに日々を送るのは心得違いです。

もし明日自分が死んだらどうするのですか?

その日、その時にしっかりと学ぶことが大事です。





それはいつも思うことです。

明日、いや今夜自分がこの世を去ることがわかっていれば

私は、その夜、どういうことをして過ごすのだろうかと。



勉強しなかった自分だからこそ、思うことかもしれませんが、

学ぶということは、金銭に換えられない財産となるんですね。



もう遅いかな?(笑)

いろはうた

いろはうたに学ぶ

ろ  楼の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき

(ローマ の ろ)


大きなお城に住む身分の高い人、金持ちでも心が卑しかったら尊敬できない。
貧しく小屋に住む人でも、心が清く正しく高尚であれば真に仰ぐべき人である。
豪邸に住んでいようが、ボロ屋に住んでいようが、
心のあり方によってのみ、人の真価が決まるものです。








めちゃ賛成です。

私は小学生の頃、朝礼で、この「ろ」の詩を詠う時、

我が家が五寸ほど傾いていたので、

せめて心清く、正義のみかたガッチャマンや、

ウルトラマンでいなくてはと思うものでした。



私は、貧乏な家で育ちましたが、

今思えば、

そんな貧乏な環境を普通だと感じながら育ったおかげで、

家を出て一人になっても

なんとか生きていけたのだと、子供時代の貧乏生活に感謝しています。

いろはうた

いろはうたに学ぶ

  いにしへの道を聞きても唱へても わが行いにせずばかひなし

(いろは の い)

古来から伝わる賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけで、自分が実行しなければ何の役にも立ちません。


(この歌は薩摩藩教学の金科玉条となったもので、代表名歌です)

(鹿児島)薩摩の島津家は鎌倉時代に地頭職として派遣された家柄です。
当主となるには相応の実力が求めらたといわれております。


薩摩は開明的な藩主も生み出していますが、朱子学中心の江戸期の教育体制の中では、陽明学も学ばれており、その影響を受けた西郷隆盛や大久保利通が、維新期に活躍したとする説があります。


「郷中教育」という制度がありましたが、それは、郷中(ごじゅう)というまとまりの中で、年長者が年少者を指導する教育制度です。

そのような制度の中の教育で、いろは歌は教材として使われていたと思われます。


この47の詩は、私が小学生の時に毎日のように朗読させらたものです。
薩摩半島のほとんどの小学校で教えられていたのではないかと思います。


_______________ココカラwikipediaより______________

伊作家(いざくけ)は、薩摩国の守護大名、島津氏の分家。

島津宗家3代当主、島津久経の次子、島津久長より始まる。
代々薩摩国日置郡伊作荘(現在の鹿児島県日置市吹上町)の地を領したことからこの名がついた。
室町時代中期に断絶し、島津宗家の9代当主・島津忠国の子・島津久逸が継承したため、
本宗家に最も近い家柄の一つになる。 10代当主の島津忠良の長子・島津貴久は島津宗家を継ぎ、
以後の島津氏当主(薩摩藩主)はこの「久逸系伊作家」の流れである。

______________ココマデ___________________________

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